藤崎彩織さんの『ふたご』を読んで思うこと

「才能がある人」というのを、私は「勘が良い人」だと捉えている。思考の速さ、視野の広さ、気づく力、等々。「勘が良い」と言われる人は、こういった様々な側面において周囲より抜きんでている人を指すのではないか。22歳現在の、個人的定義である。

小さい頃から、私はお世辞にも「勘が良い」人間ではなかった。そして、そんな自分が、心底嫌いだった。

例えば、数学の証明問題を解くときに、どこに補助線を引けばいいのか一瞬で分かる人と、類似の問題を何度も反復することで「パターン」を身に付ける人と分かれると思うが、私は圧倒的に後者だった。勉強だけでなく、運動でも、人間関係でも。どうやったら速く走れるのか、どうすれば友人とトラブルにならないのか。私は一度「できない」「上手くいかない」という失敗経験をしなければ、その解決策を知ることができない人間だった。失敗なんてしたくないのに、未経験の事に対して、失敗を回避することに成功したことが一度もない。一方で、勘が良い人は違う。速く走るためにはどう工夫すればよいのか、友人にその場でかけるべき言葉は何か、彼等は瞬時に「分かる」のだと思う。それは幼いころからの経験からなせる業なのかもしれないし、生まれ持ったセンスなのかもしれない。どちらにせよ、私は昔から、彼らの勘の良さに対して強烈な憧れを抱くと同時に、自分の平凡さに辟易してしまう。「比べなければいいのに。」そう思うけれど、自分で自分を肯定できる材料が、私にはまるでないのだ。 

だからこそ、昔から勉強も、スポーツも、できるだけの努力をしてきた。人並みの成果を残したくて、「才能ある人」と同じ景色を見たくて。好きだったからではない。「才能がない自分」を認めるのが怖かったからだ。努力して、結果を残して、やっと「才能はないけれどやればできる」と、自分のことを認める許可が下りる。凡才だと分かっているからこそ、立ちどまることは怖い。「頑張る」ことが目的になることが多々あるが、そうしなければ、両足で踏ん張って立つことが難しいときもあるのだ。

ただ、そうすると「本当にやりたいことは何?」という問いに困ることがある。顕著だったのは、就職活動の時だった。才能がないから、「これがやりたい!」という明確なものが私には無かった。職を決めるときも、「才能はないけれど、この分野なら努力を続けられる気がする」という理由で選択をした。きっと、探せばこんな自分にだって才能のひとかけらがあるものがあるんだろう。何の才能もない人間なんて、この世にはいないんだろう。私が自分のことを「才能がない人」と断言してしまいたいのは、自分が「これなら才能があるかも」と思った分野で失敗したときに、自分の凡人さを認めるのが怖いからだ。「人は失敗を経て成長する」なんて言うけれど、私にはそれを乗り越えられる自信がない。そこで失敗して立ち上がる勇気が、空っぽになってしまう自分を認める勇気が、私にはなかった。

好きなことを仕事にできる人が羨ましかった。自分の「才能」を肯定できる人に、そして、自分の「失敗」と正面から向き合える人に、心底嫉妬した。きっと私はこれからも、失敗して、自分の才能の無さが露呈しないように、細心の注意を払いながら生きていくのだろう。ずるい人間だ、と思う。けれど、これが、幼いころから自己肯定感を育ててあげることができなかった自分の、精一杯の生き方なのだと思う。

『ふたご』を読んで、私は「月島」と「なっちゃん」、そして「ぐちりん」と「ラジオ」の生き方に心底嫉妬した。なぜ皆、そんなにも丸裸で、自分自身と向き合えるのか。暗闇の中で、なぜ、「きっとうまくいく」と信じることができるのか。苦しみを乗り越えて、自分達がやりたいと思う道に、信じたい仲間とともに歩むこと。私が選びたくても選べなかった生き方を、彼等は歩いてる。才能があるからだけじゃない。失敗した時に、空っぽな自分と向き合える勇気が、彼等にはあるからだ。そして、それを乗り越えて、また努力し続けられる才能が、彼等にはある。彼等は私みたいに、きっとずるくない。計り知れない努力と、涙と、挫折がある。と同時に、その何倍もの幸福と、喜びを知っているんだろう。私の見たことのない景色を、彼等は知っている。

SEKAI NO OWARIという4人組ロックバンドのライブには、過去3回程参加した。ステージが輝いて見えるのは、きっと照明効果だけじゃない。彼らが通ってきた道が、紡いできた音達が、眩しいくらい光り輝いているからだ。私が選ぶことのできなかった生き方が、ステージの上で無数の色を生み出している。彼らの創りだす世界は、音楽は、きっとこれからもその光を失うことは無いのだろう。その眩しさに耐えきれず、目をそむけたくなるときもきっとある。けれど、「それで良いんだよ」と肯定してくれるような温かさを、そこに求めてしまう自分もいる。私にとって、彼等は嫉妬の対象であり、憧れの存在でもだったのだ。

最後に、『ふたご』の中で私がいちばん好きだと思った一文を残しておきたい。4人の主人公達が紡いでいくこの物語の続きを、私は一読者として、これからも追い続ける。

 

嫌なことは嫌だと言い、つまらないことはつまらないと言い放つ月島の姿に、私は驚きながらも、問いかけられているような気分になったのだ。

 お前は自分で選んだ人生を生きているのか?と。

                           (本文より) 

 

ふたご

ふたご