ブログを書くということ

「もうブログは書かない。」大学を卒業し、社会人になろうとしていた頃、私はそう決意していた。きっかけは些細なことだった。元々誰も見ていないだろうと思って始めたブログに匿名で悪意あるコメントが書き込まれた。別に内容にショックを受けたというわけでも、同様のことがまた起こるのが怖いと思ったというわけでもない。ただ単に、面倒くさかった。顔も名前も分からない誰かから悪意を向けられて、それを相手にしなければならないのかと思うと、そのエネルギーを消費するのがもったいない気がした。誰もが簡単に自分の気持ちを拡散できる世の中だからこそ、自分が発した言葉に誰かからの非難を浴びても、それは自業自得だ。非難してきた「誰か」を批判するのはお門違いである。自由に自分の言葉を拡散できるということは、同時にそれに対する言葉を受け止める責任が生じることなのだ、という当たり前のことをこの時改めて実感した。

それまでは自由気ままに、自己満足にこのブログで言葉を発していたけれど、それに対する悪意に対しても何か言葉を発さなければならないと思うと、私は言葉を発する自由を放棄する方が何倍も楽だった。やらなくてもいいことはやらない方が楽に決まってる。私は何の抵抗もなくブログを辞めた。

でも、ブログを辞めてから今日までの245日間で、私には様々な変化があった。学生から社会人になり、職場の移動があり、部署内での立場が変わり、責任が生まれ、少しだけ自由が減った。そして、その変化に伴って、自分の中で初めて出会う感情がいくつもあった。悔しさとか、喜びとか、言葉にしてみると無味乾燥な感情が、その色を変え私の中でじわ~っと音を立てて広がった。たくさんの「初めまして」の感情に出会い、これまでの自分の記憶にない新しい彩を与えてくれた感情を、変化を、言葉にして残しておきたい。そう思うようになった。

そこで暫くは紙の日記帳に想いを綴っていたのだけど、紙に書くよりも、やはりパソコンで入力する方が格段に速い。なんせ社会人になった今、時間は何よりも貴重だ。節約できるものは節約すべきだし、何より時間がかかるというストレスで日記さえ書くのをやめてしまっては意味がないと思った。そんなわけで、もう一度ここで、言葉を発してみようというわけだ。社会人になっても、自分単純だな、と思う。

ここまで書いてみて、やっぱり頭の中で絡まっている感情をすっきりと文章としてほどいていく作業は楽しいなと思った。頭の中のもやもやが、すーっと晴れていく感じ。書くことで、言葉にすることで、自分は本当はこういう感情を抱いていたのかと、気づかされることがある。その発見が、とても楽しかったりする。自分の知らない自分に出会う感覚。たくさんの「初めまして」が明日からの日常にまだまだ転がっているかと思うと、わくわくが止まらない。