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そうだ、課題、やろう。

ジャニーズ / アイドル / 肉 / TV / おいしいもの / Twitter(@yuki_0059)

『僕らのご飯は明日で待ってる』『管制塔』 を毎日でもリピートしたい

自ら「一人」を選択する主人公の心を覗ける物語が好きだ。

小さい頃から、「魅力的な人」に憧れてきた。昼休みにボールを持って「ドッジボールしようぜ!」と言うと、ほとんどのクラスメイトが一緒に外に飛び出していく。『君に届け』の風早君のような物語の絶対的主人公。そんな「人を惹きつける人」に、21歳になった今でも憧れを抱いている。でも、その一方で「一人でい続ける人」にも強烈な憧れを持つ。給食の時間でも、体育の授業でも、クラスメイトと話さない、関わろうとしない人物。他人から拒絶されているのではなく、自ら「一人」を選択する人は、どの学校にも、クラスにもいるのではないだろうか。私はそのような人を見つけると、何を考えているのか知りたいという欲求に駆られる。

上京して大学に進学してからは、授業も、買い物も、映画も、一人で行動しても不自然に感じないようになったけれど、良い意味でも悪い意味でも地域的繋がりが強い田舎に住んでいた頃は、「一人でいる=友達がいない恥ずかしい奴」という方程式が不文律になっていたように感じていて、身内を含む周囲からの目を気にせず無難に生活できるくらいには集団行動に身を置くようにしていた。上述した様なクラスの人気者だったわけでも、学級委員長等のまとめ役になったわけでもないけれど、体育祭や修学旅行等のイベントでは一緒に馬鹿なことをし、かといって、一緒にトイレに行ったりお揃いのものを気乗りしないまま買ったりはしない距離感を保てる友人がいる、「一般的な」学生だった。もちろん、その人物のキャラクター次第だが、休みの日に一人でタリーズに行く姿を見られるだけで「友達がいない」「いじめられている」と心配されてしまう田舎生活で、私は無意識のうちに、しかし若干意識的に注意を払いながら、無難な学生生活を送れるために友人をつくっていた側面があるように思う。だからこそ、自ら「一人でいる」ことを選択できる人への憧れがとても強い。学校という閉鎖空間で他人と関わることはプラスになることが数えきれないくらいあるけれど、その一方でマイナスに感じることも多い。そんなとき一人になりたいと思っても、一人でいる姿を見られたくないという弱い自分が顔を出し、そういった選択をできないことが多かった私にとって、常に「一人でいる」ことを選択できる人は憧れの存在だったのである。

そういったこともあり、「一人」を選択する人の心の中を覗ける物語が好きだ。中でも好きなのが、彼等が誰かに心を許す瞬間である。綿矢りささん著作の『夢を与える』という小説の中に「なんでも話すのは心を開くことに似ているが、心を開くことが勇気の要ることだとしたら、なんでも話してしまうのは惰性で、言ってしまった後に鈍い後悔がつきまとう。」という文章があるが、この文章に出会ってから、積極的に「一人」を選択するということは「心を許すことを妥協しない」ということだと思っていて、以来、「一人」を選択する彼らが心を許してもいいと思える瞬間、そしてその相手がどんな人物なのかということに強烈に興味を抱くようになった。

今日ブログを書いたのは、今月観た2本の映画の主人公たちが偶然にもそういった「一人」でいることを選び取っていた人物で、そして彼らが他者に心を許す瞬間が描かれていたので、感じたことを書き残しておきたいと思ったからである。前置きが長く全く成長が見られないこのブログの、新年一発目の記事である。

 

①「管制塔」

 

管制塔 [DVD]

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あらすじ:日本の一番端っこにある、最果ての街「稚内」で生まれ育った15才の少年・藤田駈は、どこにいても自分の居場所を見つけられずにいた。そんな駈の中学校に家庭の事情で転校を繰り返している少女・滝本瑞穂が転校してくる。クラスメイトと打ち解けようとしない瑞穂は、同じくクラスメイトと関り合いを持たない駈にだけは話しかけてくる。瑞穂は駈をムーミンの登場人物「スヌスムムリク」に似ていると言い、自分を「ミィ(同じくムーミンの登場人物)」と呼んで欲しいと頼む。彼女との出会いによって駈の毎日が変わり始める。駈が自宅の倉庫で古いギターを見つけたことをきっかけに、二人はひかれあうようになる。そして駈がギター、瑞穂がピアノのバンドを結成することとなる。

 

2011年に上映された、三木孝浩監督、山崎賢人さん、橋本愛さんが主演の映画。67分という短さだが、「よく67分でこんなストーリーを考えられたな」と唸るくらい内容が詰め込まれた映画だった。自ら「一人」を選び取っている主人公の2人が、日本最果ての田舎町で出会い、心を許し合っていく物語。駈に心を許すのに全く時間を要さなかった瑞穂が、最後は再び「一人」に戻ることを選択するという展開が好きだった。自ら孤立を選び取っているように見せかけて実は一人でいることに孤独を感じている駈と、他人に興味を持たず自ら「一人」を選んでいる瑞穂。そんな瑞穂が「見つけた」と言わんばかりにキラキラとした目で駈に近づき、心を開いていく様は綺麗なビー玉を見つけた子どものようだった。

私は駈に嫉妬した。瑞穂の歩み寄りによって孤独から脱出した駈にとって、「大丈夫、うちらならできるよ、大丈夫。」「大丈夫、君ならできるよ。」と自分の存在を認めてくれる瑞穂はヒーローだったに違いないが、私にとっても、自ら「一人」を選択できる瑞穂は憧れの存在だった。そんな瑞穂にとって唯一無二の存在になれた駈が羨ましくて仕方がなかった。

そして、二人で展望台を見に行くこのシーン。

 瑞穂:ここは日本の最果てだけど、世界の果てってあるのかな。たまに思うの、このまま世界の果てまで逃げ続けたら、私はもうどこにも行かなくていいのかなって。

駈:ずっとここにいればいいよ。いればいい。

瑞穂:でもまたきっと出ていくかもしれない。世界の果てまで逃げ続けて、そしたらまたここに戻って来れるかな。

駈:この管制塔 目印にすれば戻ってこれるよ。

瑞穂:世界の果てからは見えないかもなあ。

駈:じゃあここに、目印の目印、つけといてやるよ。帰る場所、見失わないように。

瑞穂:くさい台詞。

 駈が瑞穂に完全に心を許されたのはこのシーンだと思う。私は「誰かの帰りを待つ存在になる」というのは最強の立ち位置だと思っている。「帰りを待つ」という行為はそれ自体がすでに相手の心のうちに住むことを許されているもので、家族のような存在になったということなのだ。瑞穂の内側に存在していいという許可を得た駈が私は本当に羨ましかったし、自分と正反対に家族に愛される駈をその相手に選んだ瑞穂が愛おしかった。

「変わらない毎日。変わり映えの無い日常。そんな僕に光を照らしてくれたのは、他の誰でもない、ミイだった。だけど、僕はそんなミイの光にはなれなかったんだ。」と駈は言うけれど、瑞穂が再び「一人」に戻ることができたのは、駈が帰る場所であり続けてくれるからなのだと思う。「一人」を選び続けてきた瑞穂にとって唯一無二の存在になることができた駈に、そしてそうした二人の関係性に、嫉妬しっぱなしの映画だった。

 

②『僕らのご飯は明日で待ってる』

 

僕らのごはんは明日で待ってる (幻冬舎文庫)
 

 

昨日見てきたばかりの、市井昌秀監督・脚本、中島裕翔さん、新木優子さん主演映画。とにかく本当にハッとさせられる台詞ばかりで、メモ用具を装備していかなかったことが本当に悔やまれる。

とりあえず観終わって書いた感想がこちら。

重複するけれど、他人との線引きをしっかりしているという意味で「一人」を選んでいる小春が、亮太にはゆっくりと、丁寧に、心を開いていく様が好きだった。優柔不断で、周囲から暗いと敬遠される亮太を選んだ理由は、「(葉山君は)ちゃんとしているから」。『管制塔』の瑞穂とは違い、小春は亮太に自分の心を開示するのにとても時間をかけていた。思ったことは遠慮なく言う一方で、両親のことを身長に話す小春は実はとても繊細で、『管制塔』の駈同様、小春にとって亮太は自分の内側にいて欲しいと願った人なのだと感じた。日常生活の中で「クール=他人に興味がない」と思われることは多いけれど、それはただ自分の心を開くという行為を妥協していないだけで、信じたい人にだけ心を開くことができるということの難しさに、改めて気づかされた。

他にも書き残しておきたい台詞があったのに、思い出せないことが悔しくてたまらない。台詞が完璧に脳内再生できるようになりたいと思っているので、もう一度映画館で観る予定。

 

こんなにも好きになった映画2作に1週間で出会えたことが本当に嬉しい。またこんな素敵な時間を過ごしたい。