そうだ、課題、やろう。

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私が東京就職を決めたのは正解だったのか。『かくかくしかじか』を読んで思ったこと

昨日から夏休みが始まった。正確には一昨日に試験は終わっていたのだけれど、サマパラのDVDを鑑賞したが昨日だったので、私の夏休みは昨日やっと幕を開けたのだ。サマパラの感想はたっっっくさんあるけれど、今日は割愛する。また後日ゆっくり時間があるときに書きたい。

東京ドームという非常に近い場所でこれ程すばらしいステージが繰り広げられているのかと思うと、つくづく東京の大学に出てきてよかったなと思う。そして東京就職が決まった今、今後ずっとこの感動を身近に持つことができるのかと思うと、2カ月前のあの苦しかった時期を乗り越えられた自分に万歳三唱したい。万歳自分。万歳東京。

でもふと思うときがある。「私のこの選択は正しかったのか?」と。就職活動が落ち着いてから、実家の両親や祖父母とゆっくり電話する時間が増えた。特に祖父母はスマートフォンを手にしたことが嬉しくてたまらないらしく、「カケホーダイ」にも加入したからと、隙あらば電話をくれる。昼間自分が友人と会っている時にもかかってくるので、友人を少しの間ほったらかして話してしまうこともしばしば。すまん、Yちゃん。

そんな感じで、先日いつものように祖母と電話していたら、ドキっとするようなことを言われた。就職後の仕事について話している時だった。

 

祖母「勤務地はどこになるの?」

私「ずっと東京だよ~。」

祖母「あ、じゃあ地元に転勤で戻ってくることは無いんやねぇ。」

私「そうだね、でも正月とかはそっち帰るし、次のお盆もそっちでゆっくり過ごそうと思ってるよ。」

祖母「そっかあ。じゃあお祖母ちゃん達と会える回数も残り少なくなっちゃうねえ。」

 

デコピンされた時と同じくらいビクっとした。祖母は何事もなかったかのようにその後も明るく話しを続けたけど、私は相槌しか打てないまま通話は終わった。もうすぐ80歳。若い方だとよく言われるが、高年齢には変わりなく、体調を崩して入院することも増えた。(2・3日で退院することがほとんどだけれど。)私が幼い頃は共働きの両親に代わってよく私達孫の面倒を見ていてくれたのだけれど、今では私達の方が祖母の手をとって道を先導するこが多い。帰省する度に、「あれ?お祖母ちゃんってこんなに小さかったっけ?」と思うことも増えた。確実に時は流れているのだと、嫌という程現実を突きつけられる。

祖母のことを思い出していると、「私が家族との時間を削ってまで東京にいたい理由は何だろう。」という疑問が浮かんできた。アイドルが身近だから?でもネットさえあればいつでもアイドル鑑賞なんてできる。流行の最先端を行っているから?でも自分ってそんなにファッションに凝ってる人間だっけ。自問自答すればする程、迷子になった。家族以上に大切なものが、東京には本当にあるんだろうか?

 

そんなことを考えていると、東村アキコさんの『かくかくしかじか』という漫画を思い出した。話は逸れるが、私は漫画が大好きだ。6歳の時初めて読んだ漫画は一条ゆかりさんの『有閑倶楽部』。父の実家には漫画が大量に置いてあったから、幼稚園の時から絵本より漫画の方が触れる機会が多かった。周りの子供達が可愛く絵本を読んでいる中、のめりこむように漫画を読む私に両親は気が気でなかったらしいが、そんな幼い頃から身に付いた習性は簡単に無くなるわけがなく、現在に至る。東村アキコさんの作品に初めて触れたのは中学2年生の時。『ひまわりっ』という漫画だった。東村さんの故郷・宮崎県を舞台にしたギャグ漫画なのだけれど、これが最高に面白い。何より、私も東村さんと同じ宮崎県の出だったので、作中の「宮崎あるあるネタ」が最高におかしくて、多分東京の読者よりも深く内容を読み取れていたんじゃないかと思う。((宮崎県民渾身のドヤ顔))以来東村さんの漫画が好きになって、(多分)全作品読んだ。

そして大学3年生のとき、完結を待ってまとめ買いしたのがエッセイ漫画『かくかくしかじか』。東村さんが地元でずっと通っていた絵画教室の先生と、東村さんの絆とすれ違いを描いたもので、2015年度のマンガ大賞および文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞された作品だ。これを読んだ友人らは、「感動した」とか、「泣いた」とかいう感想を抱いていたけど、私は「苦しかった」。本当に恐縮なのだが、東村さんの気持ちが痛いほど分かるから、苦しくて苦しくて、声も出さず泣きながら読んだ。多分、宮崎に住んだことがある人なら少しは共感していただけると思うのだけれど、宮崎は良い意味でも悪い意味でも、周囲との距離が近い。極端に言うと、良い噂も、悪い噂も、1日あれば近所の全員の耳に入る。でもそれは、宮崎の人が周囲との繋がりを大切にしているからだ。近所にはどんな人が住んでいるか皆知っているし、なんならその家族構成だって把握している。自分の畑でとれた野菜を近所に配り、そのお礼にと今度は美味しいお米をもらう。宮崎県の人達は、皆「人が好き」なのだ。誰かのために何かしたくて、「良かれ」と思って行動する。でも、だからこそ、それを鬱陶しく感じてしまう時がある。反抗期の時は、特にそうだった。プライバシーゼロの空間。何かあると、自分の意志に関係なく周囲の大人が「自分のために」動く。「余計なことはしないでくれ」と言うと、向こうは私に良かれと思ってやっているから深く傷つくし、相手を傷つけた自分も傷つく。今思えば簡単に流せるようなことでも、当時の自分には重荷になることが多くて、TVや漫画で見る都会の子の親との距離感が本当に羨ましかった。「アイドルに会えるから」という理由で大学は東京に出たけれど、正直、「宮崎を出たい」という想いはあった。地元にいることが、窮屈だったのだ。だから、作中で「先生」に自分の本音を打ち明けられない東村さんの気持ちが(主観だが)よく分かる。だって先生は自分に「良かれ」と思って絵を描かせてくれているから、自分も先生が大好きだから、だからこそ、傷つけたくなくて、漫画家という夢が言えない。「なんで言えないのか分からない」と東京出身の友人が言っていたけれど、多分、宮崎人のあの熱意を目の当たりにすると、口を噤んでしまうと思う。それくらい、宮崎人の「誰かのために」にはパワーがある。頼もしくもあり、拒絶したくもなる、人との距離感。「ちょうどいい」と思えるバランスをとることは、21になった今でもなかなかできない。私にとっては、それくらい難しい空間だ。

 

祖母との電話後、家で一人で考えた。本当に東京に残っていいのか。家族以上に大切なものが、本当にここにはあるのか。でも、今後何十年もあの街で暮らすことを考えると、躊躇いもある。何が正解なのか、今の私には分からない。とりあえず、今年も夏が始まる。